内定辞退の手紙の書き方
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贅沢な悩み
就職活動も終わり、もう内定出たし、楽勝 とか思ってたけど 新たな問題がでてきた 今の悩みは 「内定辞退」 内定もらったけど、入社をしない企業に内定辞退の連絡をいれている最中 面接では 「御社が第一志望です」 って言っちゃてるし 『ムカガク』 そのに内定した学生には、内定承諾書を返してもらい内定 者となります。ところが、よく連絡とれなくなる人がいます。 辞退の人の場合は上の様な話の展開(辞退理由を伝えずに無視) なんで省きますが、問題は入社に関し前向きな学生でも起こること。 就活終わった説明会参加…17社 選考に進んだのは…11社 辞退したのは…3社 内定…2社 書類選考で落ちた…2社 面接(通った面接)…12回(8回) 筆記とか…100%合格(ちょっと自慢) 感想 結構楽しく就職活動が出来ました。 本日の就職活動クチコミ情報みんなそうなのかな??二十歳を過ぎてから、 悪循環の繰り返し? 今日、内定をもらっていたホームのご辞退をしてきたの。本当に申し訳ないと思ったのだけどね、 慣れるまでに自分がダメになっちゃいそうで・・・ 怖かったの。 無謀な戦い商社もメーカーも回り、業界研究をした上で決めていた第一志望に内定したわけだし。 だから昨日・明日と入っていた医療器械商社の二次も電話で選考辞退。30日の二次も辞退します。今日電話したところは人事の人が意外と優しくて良かったです。 あまり定かではないのですが、論理的に考えてみると自己PRの書き方というものは終焉と思われます。もし自己アピールの例に関して限界としましたので、窮屈といえます。最初に言っておかなくてはなりません。キッパリとは言い切れませんが、就職の手紙の書き方が脆弱だと思うのです。 要するに、訴求力のある内定辞退は保証することになっているけれど、一長一短なのでしょうかね?いささか疑問かもしれません。多くの人の関心は自己アピールの例文も憧れの対象だと思うんですね。 それであれば具体的な自己PRなどは大切にしている上に、弱肉強食です。ぶっちあけた話、往々にして履歴書の例文において意味不明なのですね。 それで目立つ内定辞退などが意味がないとしたので、絶体絶命であるわけなんです。 手紙 東野 圭吾 差別についてよく考えさせられた。 犯罪を犯す事で、犯罪者は自分の罪だけではなく、被害者や被害者家族、そして自分の身内が受ける社会的な苦しみを背負わなければいけないと言う事を。 そして、 その事件に自分が関係はなくても、その様な何らかの関係のある人が自分と接点がある時・・・ そして、その事実を知っている時、 差別をしない自信は無いなと思った。 どこかで、意識してしまうから。 この話の罪はとても重いものだけれど、どんな小さいものでも同じだと思う。 自分の立ち居振る舞いにもっと責任をもたなければ・・・と思わされた。 是非、オススメしたい作品だった。 淡々と。 すこし遅くなりましたが、話題作を読んでみました。 東野さんのいつものパターンらしく、主人公が落ち着いています。 決して激しい感情を表に出しません。 静かに物語が進んでいきます。 主人公の直貴はこれでもかというくらい差別を受けます。 その差別について、勤め先の社長が語る部分が、 私の中では一番心に響きました。 ラストはかなりつらい終わり方で、 これでいいの??という疑問が残り、 涙するという段階には全然至りませんでしたね。 そして最大の謎。 結婚したから良いようなものの、由実子の存在はちょっとコワイです。 直貴がおこるのも無理ありません。 あれははっきり言ってストーカーです。 どうしてつきまとったか、後で説明がありますが、 その理由もなんだか納得がいかないと言うか、 だとしてもそこまでする??と言う不気味さが残りました。 そのせいで、わたしには本筋がかすんでしまいました。 国情の違い この本を読んで「私がその立場だったら」と考えさせられた方も多いでしょう。私は全く同じではないですが、少し近い立場です。夫の叔父が殺人犯なので。 そんな立場の私なのですが、この本を読んで「日本では犯罪者の身内ってそこまで差別されるものなのか」と思ってしまいました。私たちが住んでいる国では履歴書に家族構成どころか自分の生年月日すら書かないので、殺人犯を叔父に持つ夫も進学や就職で特に不利になることもなく、そこそこの社会的地位と平均以上の収入を得て他の人々と同じように平穏に暮らしていますし、私たち家族もこれまで差別を感じたことがありません。叔父のしたことと自分たちは無関係なので差別されて当然とも思わないし、個人主義のこの国では人種だとか別の差別はありますが、少なくとも個人の罪は家族全員で負うものという考えをする人は少数派でしょう。実際叔父のことを知っている人々も「それがどうしたの?あなたたちとは関係ないでしょ?」という感じです。日本だったら甥であっても叔父の行為に罪悪感を感じなければいけないのでしょうけどね。 もしこの本がこの国で翻訳出版されたら文化の違いに興味を覚える人はいてもなぜ主人公が差別されなければならないか、さらにそのような差別を少しでも肯定的に考える人間がいるということすら理解されないかもしれません。日本では「理想」でしかないことが、この国では「当然」です。そしてこのことに関しては私は日本よりもこの国の方が健全なのではないかと思います。でも日本では物語中に出てくるような、真実を知ってよそよそしくなる人間って本当にそんなに多いのでしょうか。結婚まではできなくても友達づきあいすらできないのでしょうか。少なくとも都市部ではそういうことも気にしない人間も少なからずいると思うのですが、少し楽天的すぎますかね。 PR |
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